tokiohayley's blog

住所不定、東京インティライミ

社会人生活のこれまで③ー学生時代編-

証券会社を一社目に選ぼうと思った、

その基礎となる意識を形成した経緯について書こうと思います。

 

それは、学生時代の記憶に遡ります。

思えば、中身のない痛い学生でした。

耳年増であるだけなのに、妙な自信がありました。

熟考に熟考を重ねて決めたつもりの進路でしたが、

実際は、勉強も経験も、何もかも足りていませんでした。

ただの、世間知らずな学生でした。

 

大学に入学した2008年の秋、

慶應の三田キャンパスで勝間和代さんの講演を聞きました。

原則女性限定の講演会です。

 

男女雇用機会均等法がもたらしたのは、

女性が男らしく働く環境である。」

 

「これからの時代は女性も、

一人の人間としてサバイブしていく方法を考えなくてはならない。」

 

「再婚は転職である。」

 

・・・勝間語録がいまでも鮮明に蘇ります。

 19歳の私にはとても刺激的で、

自立した格好良い大人の女性像というのが出来ていきました。

親が離婚していたこともあり、

結婚しても絶対に仕事を続けようと決めていた私にとって、

彼女の放つ言葉一つ一つが違和感なく体に沁みこんでいくようでした。

 

当時から有名なブロガーだったはあちゅうさんのことも大好きでした。

可愛いだけではなく、自立していて、独創性のある賢い女子大生の象徴でした。

ゼミの先生が東大卒でOGOBの方をゼミに招いて、

プチ講演会を開いたこともありました。

女性からは主に主婦業と労働の両立の大変さを話していただきました。

大手総合商社、日経新聞社、外資系金融、外資系製薬会社、企業家…

バリバリ働くかっこいい人生の先輩方を目の前にして、

見たことのない景色を出来るだけ実態に近い形で、

想像しようとしていました。

 

とてもではないけれど、

まさかそんな人たちと肩を並べて働けるとは

到底思っていなかったのですが、

与えられた条件の中で常にベストな選択をしようと、

隣にいる人よりも常に上にいようとしていました。

ずっと背伸びをしながら模索し続け、

身の丈に合った現実的な目標は立てられないまま、

地に足のつかないふわふわした学生のまま卒業しました。

 

ゼミの講演会に来てくれた方の一人に、

ダメもとで個別に会ってお話を聞こうと思い連絡してみたこともありました。

当然、返信などなかったわけですが。

 

ひとつ前の記事でも述べたように、

留学から帰国して就職活動を開始するときは、

全然気持ちが切り替わらなくてつらかったですね。

実際に始めてみたら説明会すらまともに予約がとれなくて、

早々に学歴の壁にぶつかってうんざりしました。

エントリーして、説明会に出て、ESを出して、

それから履歴書、面接、グループディスカッション…

”社会人”とやらになるために、

どうしてこんなに頑張らなきゃいけないのだろうと思ったものです。

 

 

背伸びをし続け、何がしたいかより、

何をすべきかで動いてきた私が、

留学をしてやっと”なんとなく進みたい方向”を

つかみかけたところでの帰国。

 

 

無理やり設定した就活のキーワードは、

「自立」「性差別のない環境」「キャリアを積む」。

 

でもこれらはすべてぼんやりして、

形にするためにはまず認識を正さなくてはならず、

そのために多くの時間を要しました。

 

 

●「自立」 

自立するとはどういうことなのかわかっていませんでした。

いまだってよくわかりません。

経済的な話で言えば、

今まで一人暮らしもしたことがない私が、

生活をするのに何が、いくら必要なのか知りませんでした。

大学の学費はもちろん留学は1年間だけで300万円は使いましたが、

お金を使っている実感すらなかったと思います。

そんな私が企業選びの際に年収のことなど、

重要視できるわけがありませんよね。

たくさん稼ぎたいと思っていたわけではなくて、

自分に必要な分を稼げればいいと思っていたけれど、

必要な分がわからないといった調子です。 

 

 

 ●「性差別のない環境」

中途半端なアメリカナイズというか、

いってしまえばただのアメリカかぶれが、

なんちゃってフェミニスト脳に拍車をかけました。

女性の社会進出が進み、

企業も女性総合職を採用するのが一般的となったとはいえ、

男女平等が女性として生きていくうえで幸せになれるわけがありませんでした。

 

自分がいくら男女関係なく働こうと思ったところで、

女性特有のライフイベントは避けられないし、

職場の人間やお客様が私の女性性を意識してしまうのだから、

働き方、というか、働く姿勢はもっと現実的に考え直す必要がありました。

ここらへんは証券会社時代の話を記事にするときに、

詳しく書こうと思います。

 

 

 ●「キャリアを積む」

当時の私はなぜがすごく焦っていて、

とにかく経験を積んでまたアメリカに戻って、

修士を取りに行こうと思っていました。

やりたいことがあるのではなく、ただ住みたかったんです。

アメリカという土地が好きでした。

でも住むためにはビザが必要で、

ビジネスビザを取得するには現地で就職しなくてはならない。

就職するには現地の大学か大学院で学位を取得する必要がある。

 

というわけで、

ビジネスの経験と渡米費用を稼ぐため、

結婚する可能性を考えれば、

短期間で濃厚な経験を積む必要があると考えていました。

 

でも平凡な私がそんな会社にいきなり入社できるわけでもなく、

証券会社のリテールは俗にいう「ソルジャー」です。

1年もいれば普通の社会人の3年分の、

濃厚な社会人経験が積めるといわれることもありますが、

それは必ずしもビジネス面で経験が積めるという意味ではありませんでした。

私の期待していた環境ではなかったのです。

 

簡単に身に付くような知識なり経験は、それだけすぐに抜けていくものです。

そして参入障壁が低いということは、それだけ競争が激しく差別化が難しい。

経験をするのも、付加価値を乗せていくにしても時間が必要なんです。

 

結局一つひとつ、やっていくしかない。

 

地に足がつくまで社会に出てから3年も要しました。

羨ましくなるような社会人生活を送っている知人を見ていると、

私が夢見がちにふわふわともがいていたときに、

その場所にたどり着く適切なフローを着実にこなしてきたように思えて、

 彼らがとてもまぶしく見えることが多々あります。

(最近は惨めな気持ちもだいぶなくなってきました。)

 

学生の頃、憧れていた先輩の言葉を紹介します。

「大きく考え、小さく動く」。

 

当たり前のことですが、

何もするにもまずは地道で泥臭い作業を、

コツコツと続けていくしかないんですよね。

社会人としての軸も、経験も、少しずつ積み重ねていくことで、

やっと実力になっていくのだと思います。

 

以上が、私の学生時代に培われた意識のお話になります。 

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・・・何度読み返しても、頭弱い....。

これが限界だ。つらい。

黒歴史ブログです。

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何かの気づきにつながればと思っていつも書いています。