tokiohayley's blog

We are all free.Then, where shall we go next?

2015.06.28 選択

人生は選択の連続です。

何かを選ぶということは、何かを選ばないということです。

何かを得るということは、何かを失うということです。

何事もトレードオフです。

 

 

 

何かを選ぶときに、選択肢がたくさんあって迷ってしまうときは、

失っていいものを先に決めるとよいです。

失ってもいいかどうか考えるとよいです。

 

優先順位なんて決められないので、

それを得ることによって何を失うのか考えて、

失ってもいいと思えたらそっちを選べばいいと思います。

失うのが時間なのか、お金なのか、仕事なのか、趣味なのか。

 

例えばすごく欲しいブランドバッグがあるとして、

それを買うことで得られるものは、

バッグそのもの以外にしばらくいい気分で過ごせる時間、

あるいはそれを持つことによる自己イメージ向上などがあるのでしょうか。

でもそれを買うことによって失うものもあります。

お金です。

そのバッグを買うのを止めた場合、違うことにお金を使うことができます。

他に何かやりたいことや、欲しいものがあった場合、

それらとバッグを天秤にかけて「本当にいま買うべきか?」ということを考えると、

自分の選択に納得できるようになると思います。

 

直近の仕事選びで考えていたことがこの、トレードオフの考え方です。

いまの職場はとてもいい環境で、良い選択をしたと思っています。

今までの転職活動ではもっと気が散っていて、

自分を見失っていたんです。

この考え方に変えて今の仕事に就けたので、

同じように迷っておられる方は参考になるかもしれません。

 

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人生で起こることは、すべて、

起こるべくして起こると思っています。

その人にとって必要な学びを得るために、

いろいろな出来事が起きるものだと信じています。

 

今年の春、私は母と事実上の絶縁を決意しました。

母はかなり重度の精神病です。

年々悪化していっているように思います。

彼女自身ではあらゆることがコントロールできない。 

彼女自身の感情も、行動も、何も律することができず、

暴走し、そのたびに物理的に何かを壊したり、傷つけたり、

人間関係を壊すこともあるし、煩わしくなれば子供だって捨てる。

犬だって保健所送りです。

 

彼女に感謝していることはたくさんありますが、 

親子だからという理由だけで彼女の余生を支える役割を、

少しでも担わなくてはいけない理由にはなりません、

というか、厳密には少しどころか彼女と関わるだけでその役割を完全に負うことになります。

本人が無自覚に依存的だからです。

 

彼女の数少ない平常時の、私の知っている、

優しい母の笑顔を思い出すと、とても寂しいです。

でも、”ほどよい距離”がとれない相手ですから、

法的にでも、強引にでも、彼女と距離を置かなければ、

私の未来はないと思いました。

彼女が今後、よくなるとは思えません。

10年以上治療してもよくなるどころか悪化しているからです。

 

母方の親戚に彼女を任せることにしました。

母とは直接会うことはもちろん、スマホでのやりとり、手紙も、FacebookなどのSNSでのやり取りは禁止になりました。

今後彼女から接触してきた場合、裁判を起こし、

接触禁止令をオフィシャルに決めることに決まっています。

 

冷たいと思うかもしれませんが、

私はずっと母と、母との関係における自分とで、

10代のころから悩んできて、向き合ってきました。

私の努力も、愛情も、彼女の暴走の前ではすべて無意味で、

彼女ハッと目が醒めては、自分で壊したものに気づいてひどく落ち込むのです。

関わらないほうがお互いのためでもあると思いました。

 

この選択は、今後私が結婚して子供を産むなど、

未来のすべてのシーンに母の存在がないことを意味します。

想像できる得られたであろう楽しい時間や、

幸福な時間を共有する可能性を選択しなかったことで、

彼女の暴走によって私の未来の家族を傷つける可能性をゼロにできるんです。

精神病を理由に子供が殺されたりする可能性だって否定できないんです。

 

母との関係を続けるという選択をとることで、

失う可能性のあるものの大きさを考えたら、

彼女との関係を切ったほうがいい、という、そういう理屈です。

 

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上記で述べたことは、一見すると悲しい出来事かもしれません。

 

でも、不思議なものです。

大きな怨念のようなものが体から離れたような気持ちです。

最近、痩せて行っています。

あまりお腹が空かないんですね。

無駄なエネルギーを必要としなくなったというか。

 

私と同じように親子関係で悩んでいた友人が、

親との関係や、自分自身と向き合い続けた結果、

どこかで吹っ切れたようで驚くほど痩せて綺麗になりました。

特に何も無理をして痩せたわけではないということでした。

 

こうして少しずつこの人生で与えられた課題をクリアしていくことで、

肉体的に、だけでなく、精神的に、

(スピリシュアルな言い方ですが)あるべき姿に近づいていくような、

そんな感じがしています。

 

人によっては誰かに依存して、

簡易的に、短期的に、自分の抱えている課題を解決したと思っている人がいますけど、

結局自分で乗り越えないと、その誰かに執着して辛くなって、

最後はすべて失ってしまうんです。

 

孤独な作業ですが、まったくの一人ぼっちではないんですよね。

そのときに、必要な、誰かがそばにいて、アシストしてくれるはずです。

乗り越えていけばいくほど視界は広がっていき、

だんだん周囲が明るくなっていく、そんなイメージです。